ネモカルア王国大使館。
豪華な来客室のソファに身を沈め、沢野瞳は物思いにふけった。
短大時代の恩師の友人の父親の義理の兄からの伝手で一ヶ月間、海外からの下宿人の世話を頼まれた。
瞳は一軒家に一人暮らししている。下宿人をおいても構わない。
問題は法外なその下宿料だ。
まともな話ではないと思った。だが、しかし。
下宿させる相手がネモカルア王国国王の双子の兄弟とは誰が思うだろうか。
「よかった、瞳が美人で。不細工な女だったらどうしようかと思った」
センヤ・フィン・ネモカルア。そう名乗った青年は日本人と似た、けれどどこか異国の血が混じった顔で笑った。
「オレ、ハーフなんだ。母親は日本人。15まで日本で育ったから文化の違いは心配しなくていいよ。あ、瞳はオレのこと千也って呼んで」
「呼び捨ては止めていただけませんか」
「じゃあ、瞳ちゃん」
「ちゃん付けされるぐらいなら呼び捨てでいいです」
日本大使のリーメと名乗った初老の紳士が千也に耳打ちする。
「センヤさま、あまり失礼なことを言って沢野さんに断られたら、適当な人間を探し出すまでにまた時間が…」
聞こえてますけど。
まあ、ここまで話を聞いてしまっては、断るわけにもいかないだろう。
報酬はいいし。
「お引き受けいたします」
こうして、千也は瞳の家の下宿人となった。
「行ってきます」
朝、瞳は会社へ出かけた。
「いってらっしゃい」
千也はソファに寝っ転がってテレビを見ている。
「ただいま」
夕方、瞳は仕事を終え家へ帰ってきた。
「おかえり」
千也はソファに寝っ転がってテレビを見ている。
朝と全く同じ体勢、同じチャンネルだ。
「千也さん、ごはんできましたよ」
「ここに持ってきて」
「手伝おうとかそこから動こうとかいう気はないの?」
「昔は全部母親が、今は使用人がやってくれるから」
瞳はとりあえず、千也をソファから蹴り落とした。
「ねえねえ瞳ちゃん」
仕事に行こうと家を出たところで、瞳は隣の家のおばさんに捕まった。
「瞳ちゃんの家にいる男の子って彼氏?」
千也が家に来たのはついこの間の話。
懐を大きく広げてありとあらゆる情報を受信する、このおばさんのパラボラアンテナのような情報収集能力には、いっそさえ感心する。
しかし。
いいえ違います。あの男は某国の王様の双子の兄で、日本で下宿したいとか言って私の家に転がり込んでるんです。
そんなこと言ったって信じてもらえない。
瞳はちらりと時計を見た。そろそろ行かないとまずい。
このおばさんは昔から話が長い。
仕方がない。時間がもったいないし。
「ええ、彼氏です」
にこやかな笑顔でそう答えると、おばさんは嬉しそうに何度も頷いた。
「じゃあ、仕事があるのでこれで失礼します」
仕事には何とかギリギリで間に合った。
「瞳、何かオレご近所の奥様方に、ニコニコされたり、指差されたり、ひそひそ噂されたりするんだけど」
「気のせいよ」
『瞳ちゃんついに同棲』 『彼氏はイケメンだけどヒモ』
ご近所に広がった噂を二人はまだ知らない。
「千也さんって微妙ね」
雑誌を読みながら瞳がぽつりと言った。
開いたページには『街で見つけたイケメンさん!二枚目特集』とある。
「何が?」
入れてもらったミルクティをすすりながら千也は聞き返した。
「顔はいいのに二枚目なのか三枚目なのかわからないから」
千也は心外そうに眉をしかめた。
「失礼な奴だな。決まってるだろ」
そして無意味に胸を張る。
「オレは一枚目だ」
瞳は自分に入れたブラックコーヒーを飲んだ。
そして、雑誌のページをめくる。
「そう」
今日も平和な一日になりそうだ。
「前から思ってたんだけど」
朝の仕度をする瞳に千也は声をかけた。
「瞳ってさあ、別に働かなくても暮らしていけるんじゃない?」
千也を預かっていることで、彼の国から多額の下宿料が渡されているはずだ。
ざっと換算して、節約して暮らせば一生働かなくていいほどの。
「何馬鹿なこと言ってんのよ」
腕時計をはめながら瞳は言う。
「突然仕事止めたりしたら不自然でしょ。それに、いくらお金があるからって働かないでいたら噂になって、大金を持ってることがばれるじゃない。血の繋がってない親戚と会うのは嫌よ」
それに、と瞳は付け足す。
「お金はいくらあっても足りないのよ」
慌しく出かけていく瞳を千也は見送った。
千也は変だと常々思う。
サラダにマヨネーズ。
フライものにマヨネーズ。
白いごはんにマヨネーズ。
何でもかんでもマヨネーズ。
「胸焼けするわ」
買ってきたポテトサラダにマヨネーズをかけて食べる千也を見て瞳はそう呟いた。
瞳は変だと常々思う。
朝起きたら牛乳。
夜寝る前にも牛乳。
喉が乾いたら牛乳。
オレンジジュースに牛乳。
リンゴジュースに牛乳。
飲み物はいつでも牛乳入り。
「うまいのか?それ」
コップに入れたきな粉に牛乳を注ぐ瞳を見て千也はそう呟いた。
「千也さんはどうして日本で下宿したくなったの?」
ふと疑問に思ったことを、瞳は千也に訊いてみた。
「あー話せば長いんだけど、実はうちの両親駆け落ちしてさあ」
「駆け落ち?」
「日本に留学してた第一王位継承者の親父が、日本人のお袋と駆け落ちしてさ、行方不明になったんだよ。爺さんが退位したんでネモカルアの連中が親父を探して、見つけ出した頃にはもうオレと一也が生まれてて、あ、一也ってのは双子の弟で今のネモカルアの王様な。で、仕方ないから次の王の親父と世継ぎの一也が連れ帰えられて、オレとお袋はずっと日本にいたんだ。んで、15の時、一也が即位したもんでオレも影武者として呼び寄せられて、最近になってようやくお袋も王国に来てやっと3人で暮らせるようになったわけ。でもさ、一也は日本のこと何にも知らないだろ。だから、日本に下宿でもしたらって言ったんだ。そしたらあいつ『それなら千也兄さんが久しぶりに里帰りしたらいいですよ』って言っていろいろ手配してくれて現在に至るわけだ」
瞳は千也の話を反芻した。
「つまり、千也さんは王様である弟の一也さんに日本の暮らしを見せたかったわけね」
「そう」
「なのに何で千也さんがここにいるの?」
「……何でだろうな」
二人の間に少し冷たい風が流れた。
ちらちらと光と影が交差する。
「なー」
「ん?」
千也はソファに寝そべった瞳に声をかけた。
「蛍光灯が切れかけてるんだけど」
「そうね」
「鬱陶しいんだけど」
「替えはないわよ」
千也は不服そうに眉をしかめた。
「買ってくる」
「行ってらっしゃい」
玄関のドアが閉まる音がして瞳は視線を時計に移す。
ただいまの時刻、午前1時。
コンビニって蛍光灯売ってたっけ?
『瞳、好きだ』
突然の告白に瞳の全身が硬直し、目が大きく見開かれる。
『そんな、どうして私なの?』
『瞳、オレは君を愛してる。それ以外に理由がいるか?』
『でも、でも私はあなたに愛される資格なんてない女なの』
『瞳、オレは君さえいればそれでいいんだ』
夕日の沈む海岸で、男はギュッと瞳を抱き寄せた。
『私……私もずっとあなたのことを…』
ブツっと音がして画面が暗転した。
千也が振り返るとそこにはリモコンを持った瞳の姿。
「テレビ、見てたんだけど」
「あの番組は見ないことにしてるの」
主人公が自分と同名のメロドラマ。
見れるわけがない。
電話が鳴った。
「はい、沢野です」
『瞳さん?初めまして、一也です。兄がお世話になっています』
記憶の糸をたぐり寄せる。
「ああ、千也さんの弟さんでネモカルア王国の王様の」
『はい。日本語は不勉強なものでお聞き苦しいかもしれませんがご容赦ください』
「いいえ、千也さんより上手いぐらいです。千也さんに代わりましょうか?」
『いえ、今日は瞳さんの声をお聞きしたくて電話をさせていただきました。ご迷惑でしょうが兄のこと、もうしばらくよろしくお願いいたします』
「ご迷惑だなんてそんな」
瞳は微笑んだ。
「こちらとしては払うものさえ払っていただければ何をしていただいても結構です」
『……千也兄さんに代わっていただけますか?』
「え?羽目を外すな?そんなことわかってるって。お前、瞳と話したかったんだろ?何でオレに説教してんだよ。国費が食いつぶされる?おーい、瞳、こいつに何言ったんだ?」
ソファに座り雑誌を読みながら瞳は肩をすくめた。
瞳と喧嘩をした。
「夕飯抜きよ」
そう言われたので
「出てってやる!」
と飛び出した。
即、玄関の扉がバタンと閉められ鍵がかけられた。
虚しい。
今日は虫の居所が悪かったようだ。
とりあえず、街を彷徨ってみることにした。
「あ」
雑貨屋でキーホルダーを見つけて足を止める。
「ルパートさんだ」
それは、瞳がお気に入りのキャラクター。
これを買って帰れば瞳の機嫌も直るかもしれない。
部屋中に飾れるほどたくさん買って帰ろう。お金はあるし。
千也はルパートさんをしげしげと見つめた。
ルパートさんはおたまじゃくしのキャラクターだ。ただのおたまじゃくしではない。もうすぐカエルになるおたまじゃくしなのだ。
尾の両隣から生えかけた緑の足は、ただでさえリアリズムを追求したルパートさんの容姿をさらに引き立たせている。
控えめに言ってグロテスクだ。
「1コにしとこ」
部屋中にルパートさんが満ち溢れる。
そんな光景に身震いして、千也はキーホルダーを1つだけ買って瞳の家に帰った。
「本当に、恵子ったら最悪なんだから」
携帯をソファに叩きつけ、瞳は毒づいた。
「何が『ごめん行けなくなった』よ。こっちは一月前から予定を空けてたのよ。それが、2時間前にドタキャンだなんて」
大仰に息を吐き、どっかり床に腰を下ろす。
「あの子、昔っからそうだったわ。いっつも予定を潰して…」
かなり被害を被ったであろう瞳に少し同情して千也は言った。
「その恵子って女、最悪だな」
瞳はじろりと千也を睨む。
「会ったこともないのに、恵子の何がわかるのよ」
千也は少し身をすくませた。
乙女心は難しい。
瞳と千也は縁日へ出かけた。
「あ、金魚」
千也はしゃがんで金魚をすくう。
「あ、射的」
千也はキャラメルを手に入れた。
「あ、ヨーヨー」
千也は赤いヨーヨーを釣りあげた。
「……」
来なきゃよかったと後悔するがもう遅い。
「あ、お面」
出店の数は35。
一軒一軒に足を止める千也。
いつになったら帰れるのかと瞳は夜空を見上げた。
瞳の家の玄関には花瓶に生けられた花があります。
玄関に花を飾るのは、お客様を気持ちよくお迎えする心意気です。
ある日、ふと気になって千也は瞳に尋ねました。
「この花瓶、水をかえなくてもいいの?」
「ああ、いいの。それ造花だから」
「え?」
「水もかえなくていいし、腐らないし、面倒くさくなくていいでしょ」
「道理で、花のにおいがしないと思った」
「香水でも吹きかけとけば」
玄関に花を飾るのは、お客様を気持ちよくお迎えする心意気です。
「微妙に歓迎されてないなあ」
千也の呟きは瞳の耳に届きませんでした。
何となく寝つけない、そんな夜。
千也は近くのレンタルショップで借りてきたビデオを見ます。
「おおー!」
アクロバティックな主人公の動きに歓声をあげ
「駄目だ!逃げろ!」
敵に捕まりそうなヒロインに危機を知らせ
「早く!早く!急げ!!」
ヒロインを助けに行く主人公を応援します。
映画に感情移入しやすい千也の夜はこうして更けていくのです。
「うるさい………いい加減に寝ろ!」
瞳が怒鳴り込んでくるまでは。
「あいつのどこがいいんだ?」
涼しげな顔で瞳は答える。
「私は、年をとったらただのおばあさんになるだけでしょ。でも、彼は違う。彼は成長したら全く別の存在になるの。新たなる一歩が再び始まるの。それって素敵なことじゃない?」
「いや、だけど」
千也はくだんの『彼』を見つめて言う。
「ルパートさんはこれ以上成長しないと思うんだけど」
瞳のコレクションは日々、増えていく。