パレス国はお祝いムードに包まれていた。国民の自慢である絶世の美女、三の姫リリスの結婚式が一週間後にとり行われるのである。
リリス姫の嫁ぎ先は交易で栄えるテップ国。その跡継ぎであり、姫の夫となるクヌギ王子は精悍な顔つきの美男である。若く美形な二人が並んだ肖像画は何枚も売り出され、国民たちは家に貼ってお祝いをした。若い娘たちはリリス姫の着るドレスに似たデザインの服を仕立てに走り、若い男たちは絶世の美女との別れを惜しむため、リリス姫が婚礼の挨拶を行うバルコニーを見上げる広場で場所取りを開始している。
そんな中、浮かない顔をした人間がパレス国の城内にいた。結婚する当の本人、クヌギ王子である。結婚式の最終確認と挨拶のため城を訪れた王子は与えられた客室で深々と息を吐いた。
「いよいよ結婚、か」
部屋を見回す。広い。とんでもなく広い。クヌギの国ならば冗談ではなく謁見の間ぐらいの広さのある部屋が客間である。
交易で栄えているとはいえクヌギの国は小さい。パレス国は東の大国である。格の違いは重々承知していたつもりだが、これで本当によかったのだろうか。広い部屋の一角で縮こまるようにしてクヌギは頭を抱えた。
ノックの音。クヌギは慌てて居住まいを正し返事をする。入ってきたのはパレス国の世継ぎの王子、エデンだった。
「やあ、クヌギ。ちょっと話をしたいんだけどいいかな」
「はいもちろんです! どうぞお座り下さい」
立ち上がってかしこまるクヌギにエデンは困ったように笑った。
「そんなに改まらなくてもいいんだよ。僕たちは兄弟じゃないか。それにね、クヌギ。僕は君と友達になりたいなと思っているんだよ」
「友達に……」
「そう。クヌギがよければね」
「もちろんです!」
クヌギは感動して答えた。エデンは笑顔のままで椅子に腰を下ろす。
「結婚の準備、忙しそうだね」
「はい。いよいよかと思うと緊張してしまいます」
「姉上も嫁ぎ、ロザリィとリリスも嫁ぐのか。なんだか感慨深いね」
エデンのもう一人の妹であるパレス国のニの姫、ロザリィの婚礼もリリスと同じ日に行われる。しかし、国民たちには馴染みがない姫君であり、降嫁であるという理由から、こちらはあまり注目をされてはいない。
ロザリィの名前を聞いたエデンは微妙な顔をする。パレス国の土を最初に踏んだ時、彼はロザリィを妻にするつもりだった。しかし、紆余曲折を経てリリスを妻にすることができたのだ。
「降嫁とは、パレス王もずいぶん思い切ったご決断をなさいましたね」
「そう? ザーボンはいい奴だよ」
「はあ……」
ザーボンとはロザリィ姫のお相手である主席魔道師の名だ。政治に利用できる王族の婚姻。手駒とも言うべき姫君をみすみすと家臣にくれてやるとはパレス王も太っ腹だな、と、一人っ子のクヌギは思っていたが、エデン王子の意見は違うようだ。
暢気な王子様だな。
何度か話をするうちにクヌギはそう思うようになった。これも、大国の貫禄か。
「そういえば、姉上からのお手紙は読んだ?」
「はい。先ほど拝見しました」
「リリスの花嫁姿を見れないと残念がっていたよ」
北の王の正妻であるパレス国一の姫、ビスカは北の国を離れることができず今回の結婚の儀式には不参加である。その詫状と一緒に私信も受け取っていた。内容を思い出しクヌギは苦笑する。
「ビスカ様はご兄弟思いのようですね」
私信には、『あの子はいろいろ教えてもすぐに忘れるからそのつもりで』と書かれていた。才媛と名高いビスカの気の聞いた冗談なのか、はたまた、見かけによらず毒舌な姉上さまなのか。
エデンは昔を懐かしむように遠い目をした。
「僕たちはみんな母様が違うのだけれど、とても仲がよくてね。僕もよく、『甘いばっかりで中身がない砂糖細工』とか『脳みそ流しそうめん』とか言われたものさ」
姉上は優しいからいつも僕らを気にかけてくださるんだ。そう言って笑うエデン王子に屈託はない。パレス国流の冗談、なのだろうか。エデンのペースについていけずクヌギは曖昧な表情を浮かべた。
小姓がエデンを呼びにやってきて、話はそこで打ち切りとなった。引きつった笑いでエデンを見送り、クヌギもリリスに会いに行くため部屋を出た。
部屋を出たところで出くわしたのは、パレス国のニの姫とその夫となる主席魔道師。
「クヌギ王子、ごきげんよう。お忙しそうですね」
ニの姫、ロザリィが俯き加減で口を開く。絶世の美女と称されるリリスの姉、であるのだがその容姿は百人並みである。密やかな優越感を胸にクヌギは口元に笑みを乗せる。
「いえいえ、ロザリィさまこそお忙しいでしょう」
「リリスと違って国に留まる身。華々しいことはいたしませんから、さほどは忙しくないのです」
ね、と同意を求めるように隣を見る。それに頷き、ザーボンはにっこりと笑った。
「そうなんですよ、クヌギ王子。そういえば貴方様とは兄弟の関係になるんでしたね。私のほうが兄になるわけでして、僭越ながら『クヌギ』とお名前を呼び捨てにしてもよろしいですか?」
「な……」
いやいや、お前家臣だろ! そう言うよりも早くロザリィが慌てた様子で口を開いた。
「失礼よ、ザーボン」
「ロザリィ様、ムキにならなくとも冗談ですよ。私たちは仲良しですから。ねえ、クヌギ王子」
「いやあ、ザーボン殿にはかないませんな」
思えば初めて会った時からこの主席魔道師とは何となく反りが合わなかった。しかも、ザーボンはクヌギを見る時いつも目が笑っていない。はっきり言ってちょっと怖い。
しかし、とクヌギは思い出す。ビスカの私信にはこうも書かれていた。
『何かあったらザーボンを頼りなさい』
ふと、クヌギはロザリィが持つ箱に目を留めた。赤い宝石がたくさん入っている。装身具でも作るのだろうか。
「ロザリィ姫、それは?」
「これは、魔道石といいまして、魔力を貯めておける特殊な石です」
「衝撃を与えてやれば中の魔力が弾けて爆発するんですよ。この小さな石一つで、そうですね、あそこにある柱ぐらいは粉々です」
ザーボンが指さしたのは大人の男が三人で手を繋いでようやく一周できるほどの太さの柱だった。
「何でそんな物騒なものを一国の姫君が抱えてるんですか!」
「え、でもこれはまだ魔力を込める前のものですから安全ですよ」
「そうですよ、クヌギ王子。それに、ロザリィ様は姫君ですが優秀な魔道師でもあります。魔道石の扱いぐらいは心得ておられますよ」
いやいやおかしい、何かが違う。パレス国の常識にクヌギは頭を抱えた。
扉をノックすると可愛らしい声で返事があった。中に入るとクヌギの妻となる姫君はハニカんだように愛らしく笑う。
「クヌギ様」
「リリス姫……」
才女だが毒舌が過ぎるビスカ姫。魔道師の力を持ち人見知りの激しいロザリィ姫。
よかった。自分の妻となる女性がリリスで本当によかった。クヌギはしみじみと幸せを噛みしめる。
侍女たちを下がらせ、二人っきりになった。式当日のテップ国での段取りをクヌギはリリスに説明した。本来ならばこちらの重臣の誰かが話すのだが、嬉しくて言いたくなってしまったのだ。リリスは笑顔で聞いている。
「また改めて説明をさせますけれど、そんなところです」
「そうですか」
「おわかりになりましたか?」
リリスはにこにこ笑っている。
クヌギの頭にふと、ビスカの手紙の言葉が浮かんだ。
『いろいろ教えてもすぐに忘れるからそのつもりで』
「あのう、リリス姫」
「何ですか?」
「何か質問はありますか?」
「いいえ」
「そうですか。あの、では、先ほど私が言った内容をリリス姫の方から言っていただけますか?」
リリスはぱちくりと瞬きした。
「ごめんなさい。覚えていません」
やっぱり。ガックリとクヌギは脱力した。
「姫、わからないことがあるなら言ってください。でないと私にはわからない」
「ご、ごめんなさい」
上目遣いで困ったようにそう尋ねる。その愛らしさにクヌギは息を飲んだ。
「いえ、いいんです。また、側近から説明させますので」
「そうですか。よかった」
心底ホッとした様子でリリスは胸をなで下ろし、にっこり笑う。クヌギは赤くなって目をそらした。
「あの、リリス姫。あまりそういう顔を他の男の前でなさいませぬよう」
「笑うなとおっしゃるの?」
「そうではありません。その、あなたは美しすぎるから」
クヌギが視線を戻すとキョトントした顔のリリスと目が合った。間の抜けた顔も可愛らしい。
「あら、でもビスカお姉さまは『リリスはとりあえず笑っていなさい』とおっしゃいますわ」
「いえ、笑っていらっしゃるのはいいんですが、あの……」
言いかけて、クヌギはリリスの言葉の意味に気づく。
「あの、リリス姫。あなたはビスカ様の言いつけに従って笑っているのですか?」
こくり、と頷く。
「面白くもなくても」
また、こくり。
それは必要なことだ。国同士の社交の場では面白くなくとも笑わねばならぬ時がある。
けれど。クヌギはゴクリと息を飲む。
「あの、姫は私といるときはいつも笑っておいでですが、それも言いつけに従ってのことですか?」
こくり。
無邪気に頷いたリリスにクヌギは絶望的な気持ちになった。
「クヌギ王子、どうされました」
客間に戻ろうとボンヤリ歩いているとザーボンが声をかけてきた。隣にロザリィはいない。
「ロザリィ姫は?」
「魔道石に魔力を込めておいでです」
「一国の姫君が何故そんなことを」
「あの魔道石は普段とは別の用途に使うので特殊な加工が必要なんですよ。ロザリィ様はそういうことがお好きですし、今回は自分がやりたいとおっしゃったもので」
「そうか」
元気がないクヌギの様子にザーボンは眉根を寄せ息を吐いた。
「客間の方にお伺いしてもよろしいですか」
「……ああ」
二人でクヌギが使っている客間に戻る。お茶を運ばせ、侍女たちは下がらせた。ソファに座りうなだれるクヌギに対して、ザーボンは窓際に立ち外を見ながら紅茶をすする。
「男のマリッジブルーは見苦しいですね」
「誰がだ」
「クヌギ王子のことですよ。違いましたか?」
「ザーボン、一つ聞きたい。リリス姫は昔からああなのか?」
「頭はいいが毒舌なビスカ姫、顔はいいがおバカなリリス姫。それに比べ、魔道の腕は立つが内気なうちのロザリィ姫が一番の当たりですよ。はっはっは」
「ふざけるな!」
「おや、怒りましたか」
「当たり前だ。リリス姫はオレの妻になる女性。彼女をバカにするな」
「そうですね、だからわたしはあなたが嫌いなんですよ」
思わぬ返しにクヌギは固まる。ザーボンはゆったり紅茶を飲んだ。その目はいつものように全く笑っていない。
「あなたはロザリィ様の造った塔に敗れたとき、こうおっしゃいました。『あの程度の容姿でこのようなわがままを』とね。わたしの大切な人をバカにした」
クヌギは思いだそうとしたが思い出せなかった。そんなことを言ったような気もするし、言わなかったような気もする。
「あなたは優秀な王子様です。あなたが王様になればテップ国も安泰ですよ。でも、それとは全く別に、あなたはあなたの常識と正義だけで物事を測っている。それじゃあ、ロザリィ様の良さも、ビスカ様の良さも、リリス様の良さも一生わからないでしょうね」
わからない。ザーボンの言っている意味がクヌギには全くわからなかった。
婚礼の日がやってきた。クヌギはリリスと共にパレス王に挨拶をし、バルコニーへ出て国民たちへのお披露目をすませた。本格的な式典はこの後、テップ国でとり行う予定である。
それにしても、とクヌギは思う。リリス姫は本当に愛されているようだ。バルコニーでの挨拶は希望者が広場に入りきらなかったため、急遽二回行うことになったし、テップ国へ向かう馬車に乗り込む前のこのわずかな時間にも、リリス姫付きだったという侍女や使用人たちが引っ切りなしにやってくる。
その全てに、リリスはにこにこと笑顔で応えていた。感極まって泣き出した年のいった侍女の背をさすって宥め、ひざまずく使用人に目線を合わせ会話をしている。
あの笑顔もどうなんだろう、とクヌギは思った。『いつでも笑っている』というリリスのことが引っかかったまま婚礼を迎えてしまった。
そろそろ出発の時間であるが、使用人たちの列は途切れる様子がない。これまでに挨拶する機会などいくらでもあっただろうに、とクヌギは幾分げんなりした。
「リリス」
遠慮がちなか細い声。それに反応してリリスは振り返った。
「ロザリィお姉さま」
白いドレスの上に地味な茶色のローブを羽織ったロザリィがいた。先ほど国王と共に挨拶したときとは服装が違う。祝いの席にその姿か、とクヌギは眉をしかめた。
「あれは魔道師のローブです」
急に耳元で声がしてクヌギは飛び上がった。いつの間にかザーボンが背後に立っている。
「驚かすな」
「これは失礼。クヌギ様がロザリィ様の服装に怪訝な顔をされていたもので、つい」
横目で見れば、ザーボンも同じような形の黒いローブを身につけている。彼はいつもその姿なのであまりに気にしてはいなかった。
リリスとロザリィの対面に、使用人や侍女たちは互いにけん制しあって道をあける。その道をおずおずと進んで、ロザリィはリリスの手をとった。
「気をつけて、リリス。体を大事にね」
「はい。お姉さまもおめでとうございます」
「ありがとう」
手を握り合ったまま、姉妹は何も言わず互いを見詰め合っている。出発します、と声がかかり、二人は名残惜しそうに離れた。
まず、クヌギが馬車に乗り込み、次に乗り込むリリスをエスコートした。馬車の中で一度振り返り、リリスはにっこりと笑う。
「行って参ります」
走り出した馬車はパレス国の大通りをゆっくりと進んだ。沿道には、リリス姫を一目見ようと大勢の国民が集まっている。馬車の窓から少しだけ顔を覗かせリリスが手を振ると、大きな歓声が上がった。
大通りを抜けた馬車は少し速度を上げて街道を走る。ふう、とクヌギは息を吐く。
「リリス姫、お疲れではないですか?」
「いいえ、大丈夫です」
にっこり。国民へ手を振るときと同じ笑顔だ。クヌギは内心でもう一度息を吐いた。
馬車は順調に進み国境付近へ差しかかった。少し小高い丘の上。一旦止まって休憩をする。
まだパレス国内であるし、周りには両国の警備の兵が嫌というほどいる。クヌギとリリスは馬車から降りた。
その時。
パン。パン、パン。
遠くから聞こえた音。クヌギとテップ国の兵士は緊張に身を強張らせる。しかし、パレス国の兵士は落ち着いた様子で空を見上げた。
「ご覧下さい、リリス様。始まりましたよ」
リリスの視線を追って顔を上げると、空にキレイな花が咲いていた。
「パレス国名物、魔道花火です」
「うちの国の祝砲のようなものですよ」
「今回はロザリィ様がお作りになったとか。いや、見事ですな」
暢気にパレス国の兵士はテップ国側にそう説明している。
空に舞う大輪の花。
それを眺めていたりリスが突如身を翻し、馬車の中に駆け込んだ。
「姫」
クヌギは慌てて後を追う。
馬車の中で、リリスは顔を覆いうずくまっていた。
「お姉さま……お父さま……」
クヌギはハッとした。そうだ。テップ国へ嫁くということは生まれ育ったパレス国から離れるということ。王である父親や姉に会える機会は滅多にない。
リリス姫は寂しいはずだ。
そのことにクヌギは今まで思い当たらなかった。リリスが寂しそうな様子を微塵も見せなかったからだ。リリスがいつも笑っていたからだ。
クヌギは一瞬唇を噛んだ。そして、意を決し声をかける。
「姫、リリス姫」
ビクリとリリスの背中が揺れる。
「ごめんなさい、クヌギ様。わたし……」
肩を掴んで顔を上げさせる。リリスの両目からは大粒の涙が零れ落ちていた。
綺麗だな、とクヌギは思った。これまで見せたどんな笑顔よりも綺麗だと思った。
「いいですよ、泣いても」
「でも、でも……」
「社交の場では困りますが、オレの前では、二人っきりの時は、お姉さまの言いつけを忘れましょう。言いつけを守って、無理に笑わなくてもいい」
パチパチとリリスは涙の溜まった目で瞬きをした。
そして。
にっこり。優美にリリスは微笑んだ。
「あ、クヌギ様。今のは言いつけではありません。本当に嬉しくて笑ったんですのよ」
慌てたようにそう付け足す。それがおかしくてクヌギも笑った。
「ええ、ええ。わかっていますよ、リリス姫」
「見て、ザーボン。お祝いの花火がちゃんと上がっているわ。よかった、成功ね」
魔道師のローブをはためかせ、ロザリィはバルコニーから空を見上げる。近くの森では魔道師たちが連発式の花火を打ち上げていた。リリスたちが国境に差しかかりるタイミングを見計らってのことだ。
連発式の花火は魔道石にちょっと細工をしてしかける。異国の地へ嫁ぐ妹を祝福するために、ロザリィが自らの魔力を込めて作ったのだ。
「キレイな花になっているわ。これでリリスの寂しさが紛れるといいんだけれど」
「ええ、見事ですよ。ロザリィ様」
ザーボンはちらりと手に持った紙に目を落とす。それは、ビスカからの手紙であった。無駄な言葉は一切ない。本文はただの一行。
『リリスのフォローをお願いね』
「全く、面倒くさいことばっかり押しつけて」
『パレス国』の『姫君』である『絶世の美女』と結婚しようとしていたクヌギである。『パレス国の姫君』なのに物覚えが悪いと嘆き、そうであるのに『結婚相手』からは愛されたいと願うクヌギである。
物覚えは悪いが周囲へ細やかな心遣いを忘れないリリス姫。そんな彼女の良さにクヌギはいつ気づくのだろうか。まあ、あの王子は馬鹿ではないしヒントも与えてやったから大丈夫であろう。
手紙を折り畳んで隠しにしまう。そして、花火の成功を喜びいつまでも空を見上げているロザリィの手をとった。
「お忘れですか? 今日は我々の門出の日でもあるんですよ」
「え、いえ、忘れてはいないけれど……」
ザーボンは握ったロザリィの手に口づける。
「では、我々の婚礼に向かいましょう。私の最高の姫君」